孔子の論語 八佾第三の三 人にして仁ならずんば、礼を如何せん

 孔子の論語の翻訳43回目、八佾第三の三でござる。

漢文
子曰、人而不仁、如禮何、人而不仁、如樂何。

書き下し文
子曰わく、人にして仁ならずんば、礼を如何(いかに)せん。人にして仁ならずんば、楽を如何せん。

英訳文
Confucius said, “It is no use that a person without benevolence acts politely. It is no use that a person without benevolence plays music.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「仁愛を持たぬものが礼儀正しくしたとしても無意味である。仁愛を持たぬものが音楽を奏でたとしても無意味である。」

Translated by へいはちろう

今回の文は「真心がなければ行動が儒学の教えにかなっていても意味が無い」と言う事でござるな。そして何故ここに音楽の話が出るのかと言うと、孔子は儒学の教えの実践として礼楽(礼儀と音楽)を重んじていたのでござる。古来より儀式や宗教には音楽がつき物なのでござるが、孔子ほど音楽に拘った人物もまためずらしいでござるな。

ただし元は大衆芸能だったものが時を経て伝統芸能に昇華した場合、その洗練された表現を得る代償に自由な表現を失うものでござる。儒学の思想によって縛られた漢代の音楽はどんなものだったのでござろうか?しかしキリスト教に抑圧されていた芸術が解放されて花開いたルネッサンスや長い戦乱が終わって花開いた江戸時代の文化の例もあるので、芸術の開花には冬が必要なのかも知れないでござるな。

八佾第三の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの孔子の論語 八佾第三を英訳を見て下され。