孔子の論語 八佾第三の二 相くるは維れ辟公、天子穆穆と。奚ぞ三家の堂に取らん

 孔子の論語の翻訳42回目、八佾第三の二でござる。

漢文
三家者以雍徹、子曰、相維辟公、天子穆穆、奚取於三家之堂。

書き下し文
三家者(さんかしゃ)、雍(よう)を以て徹す。子曰わく、相(たす)くるは維(こ)れ辟公(へきこう)、天子穆穆(ぼくぼく)と。奚(なん)ぞ三家の堂に取らん。

英訳文
Three leading families of Lu finished their rite with a Yong song. Confucius said about this, “The song says – ‘feudal lords assist the emperor and the emperor is majestic.’ How dare they made the song be sung in their rite?”

現代語訳
魯の御三家が彼らの祭礼を雍の歌で締めくくらせ、孔子はそれについておっしゃいました、
「その歌の歌詞には “諸侯は天子(周王)を助け、天子はうるわしくあられる” とある、よくも(諸侯の家臣の身分で)その様な歌を自らの祭礼で歌わせたものだ」

Translated by へいはちろう

今回の文も当時の歴史背景を知らねば意味が解らないでござるな、孔子は出身国である魯に仕えていた時期があったのでござるが、魯の政治を実質的に取り仕切っていたのが三桓氏(孟孫・叔孫・李孫の御三家)で孔子は彼らの専横を苦々しく思っていたのでござる。臣下でありながら主君すらも追放する彼らの行為は序列を重んじる孔子には我慢ならなかったでござろうな。

八佾第三の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの孔子の論語 八佾第三を英訳を見て下され。