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老子 第十一章 有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり

老子の翻訳、第十一章でござる。

原文
三十輻共一轂。當其無、有車之用。埏埴以爲器。當其無、有器之用。鑿戸牖以爲室。當其無、有室之用。故有之以爲利、無之以爲用。

書き下し文
三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。その無に当たりて、車の用あり。埴(つち)を埏(こ)ねて以(も)って器を為(つく)る。その無に当たりて、器の用あり。戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて以って室(しつ)を為る。その無に当たりて、室の用あり。故(ゆえ)に有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり。

英訳文
A wheel has thirty spokes and one hub. We can use a wheel because a hub has a hole to insert an axle. We knead clay and make a vessel. We can use a vessel because it has a space with nothing. A house has doors and windows. We can live in a house because it has a space with nothing. So when we use something, we always benefit by “nothing”.

現代語訳
車輪というものは三十本の輻(や)が真ん中の轂(こしき)に集まって出来ている。その轂に車軸を通す穴があいているからこそ車輪としての用を為すのだ。器を作るときには粘土をこねて作る。その器に何もない空間があってこそ器としての用を為すのだ。戸や窓をくりぬいて家は出来ている。その家の何もない空間こそが家としての用を為しているのだ。だから何かが「有る」という事で利益が得られるのは、「無い」という事が影でその効用を発揮しているからなのだ。

Translated by へいはちろう

輻(や)や轂(こしき)という言葉はなじみが薄いので自転車の車輪を思い浮かべてもらうと解りやすいでござるな。ホイール(車輪)をささえる放射線状のスポーク(輻)があって、その中心にハブ(轂)がある。ハブの中心には穴があいていて、そこに通した車軸を中心に車輪は回転するのでござる。

日本語より英語の方が解りやすいという残念な実例でござるな。最近では「ハブ空港」という言葉がニュースを騒がしているが、これが「轂空港(こしきくうこう)」なんて呼ばれたらただでさえ解りにくいのがさらに解りにくくなってしまうでござる。ところが「轂空港」でGoogle検索をしてみると、ちゃんと「ハブ空港」に関する検索結果が表示されるからビックリでござる。これだからアメリカ人はあなどれない。

さて話を戻すと第二章でも有と無の相対性を説いているのでござるが、今回は「有」に対する「無」の働きを説いているわけでござるな。有と無は善悪美醜の様に境界線のあいまいな概念ではなくはっきりと別のものでござるが、それでも互いを補いあって作用するという事を言っているのでござる。

我らは目に見える「有」のみ見ようとして、そこにある「無」の作用を忘れてしまいがちでござる。こういう事を深く考えすぎるのもどうかと思うのでござるが、確かに一理あるでござるな。

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老子 第十章 営魄を載んじ一を抱きて、能く離るること無からんか

老子の翻訳、第十章でござる。

原文
載營魄抱一、能無離乎。專氣致柔、能孾兒乎。滌除玄覽、能無疵乎。愛民治國、能無以智乎。天門開闔、能爲雌乎。明白四達、能無以爲乎。生之畜之、生而不有、爲而不恃、長而不宰。是謂玄徳。

書き下し文
営魄(えいはく)を載(やす)んじ一を抱(だ)きて、能(よ)く離るること無からんか。気を専(もっぱら)にし柔(じゅう)を致し、能く嬰児(えいじ)ならんか。玄覧(げんらん)を滌除(てきじょ)して、能く疵(きず)無からんか。民を愛し国を治めて、能く以って知らるること無からんか。天門開闔(てんもんかいこう)して、能く雌(し)たらんか。明白四達(めいはくしたつ)して、能く以って為すこと無からんか。これを生じこれを畜(やしな)い、生ずるも而(しか)も有せず、為して而も恃(たの)まず、長たるも而も宰(さい)せず。これを玄徳(げんとく)と謂う。

英訳文
Can you calm your body and follow “the way”, then keep them? Can you concentrate your mind and soften your body, then become like a baby? Can you purify the mirror of your heart, then keep it blameless? Can you keep yourself nameless when you love people and rule a country? Can you keep yourself like female when all things are produced from the gate of heaven? Can you do nothing when you know everything clearly? The saint who knows “the way” does not possess things that he made or raised. He does not rely on his success. He does not become a dictator even if he becomes a leader. These are “mysterious virtues” of the saint.

現代語訳
迷える肉体を落ち着けて唯一の「道」を守って、そこから離れずにいられるだろうか。精神を集中して身体を柔軟にして、赤子のようになれるだろうか。心の鏡を洗い清めて、少しの落ち度もないようにできるだろうか。人々を愛し国を治めて、それで人に知られずにおられようか。天上の門から万物が生み出される時に、雌のように受身でいられるだろうか。何もかもはっきりと解っていながら、何もせずにいられるだろうか。ものを生み出し育てながら自分の物とせず、何かを成し遂げてもそれに頼らず、人の上に立っても取り仕切ったりしない。これらは「玄徳 – 神秘なる徳」と言う。

Translated by へいはちろう

また何だかよく解らない文章でござるが、常人の及ばぬ聖人の徳を説明しておられるのでござるな。

なお営魄(えいはく:迷える肉体の気)の魄(はく)とは、いわゆる魂魄(こんぱく)と言われるように魂と対になる肉体を支える気を表す言葉でござる。現代語訳と英訳では単純に肉体(body)という言葉にしているでござる。

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老子 第九章 持してこれを盈たすは、その已むるに如かず

老子の翻訳、第九章でござる。

原文
持而盈之、不如其已。揣而鋭之、不可長保。金玉滿堂、莫之能守。富貴而驕、自遺其咎。功遂身退、天之道。

書き下し文
持(じ)してこれを盈(み)たすは、その已(や)むるに如(し)かず。揣(きた)えてこれを鋭くするは、長く保つべからず。金玉(きんぎょく)堂に満つるは、これを能(よ)く守る莫(な)し。富貴にして驕(おご)るは、自らその咎(とが)を遺(のこ)す。功遂(と)げて身の退(しりぞ)くは、天の道なり。

英訳文
You should not try to keep a vessel full. The sharper the edge, the sooner it will be nicked. The more treasure you get, the harder to keep them. You will suffer disgrace if you are arrogant after winning fortune and fame. You should retire instantly when you achieved success. This is the way of heaven.

現代語訳
いつまでも器を満たし続けようとするのは止めたほうが良い。刃先を鋭く尖らせればそれだけ長持ちしなくなる。金銀財宝を蔵に満たせば満たすほど、それらを守るのが困難になる。富や名声を手に入れて傲慢になれば、かえって不名誉を残す事になる。自らのやるべき事をやり遂げたならば、さっさと引退するのが天の道というものだ。

Translated by へいはちろう

「功遂げて」の部分は「功成り名を遂げて」としている本もあるでござるな。このブログでは王弼本や河上公本の違いなどのマニアックな話はしないので、老子と一言で言ってもテキストによって微妙な違いがあるという事だけ頭に置いといてくだされ。

さて今回の言葉はとても含蓄のある言葉でござるな。特に歴史好きな拙者のような人間からしたら「まさに然り」と頷かざるを得ない内容でござる。歴史上には一世の傑物と言える人物はたくさんいる。しかし本当に偉大な人物というのは、その成果を次代に繋ぐ事が出来た人物を言うのではないかと拙者は考える次第。

我が国では徳川家康が良い例でござるな。家康は慶長8年に征夷大将軍に就いた後、2年後の慶長10年に息子の秀忠に将軍職を譲っているのでござる。ご存知の通り実質的には引退後も家康が実権を握っていたのでござるが、豊臣氏を滅ぼして将来の禍根を断ち、武家諸法度や禁中並公家諸法度を制定するなど幕府存続のためにいかに家康が苦心をしたかという事は説明するまでもないでござろう。秀忠は家康と比べると見劣りしがちでござるが(特に関が原での失策もあって戦に弱い点が指摘される)、家康の事績を保ち定着させて次代の家光に継いだ功績は存分に称えられるべきものでござる。

一人の天才の存在は周囲に依存心を植えつけてしまう。依存心は自分で考える力を低下させて、いざその天才が失われたときには混乱を招く事となる。その混乱を収拾するのにまた別の天才の出現を待つというのではいつまでたっても安定は訪れない。

徳川幕府を例にとれば家康・秀忠とトップダウン体制による政治は家光の代になって年寄・老中たちによる合議制となり、ここに幕府政治が完成するのでござる。「創業は易し守成は難し」というのは家康が愛読したといわれる貞観政要(じょうがんせいよう)の言葉でござるが、守成の難しさを知っていた晩年の家康は、後継者を育て、さらには後継体制を作り上げる事に心血を注いだのでござる。

…なんだかいつまでたっても話が終わらない様な気がしてきたのでここで上記の貞観政要のエピソードを紹介して無理やりまとめるでござる。

唐の太宗が家臣に尋ねました、
「創業(事業を興す事)と守成(事業を維持する事)とどちらが難しいと思うか?」

副宰相の房玄齡が答えました、
「天下が混乱していると群雄が並びたちます。それらを討ち果たさねばならない点でいえば、創業の方が難しいといえるでしょう。」

魏徴はこう答えました、
「帝王が生まれる時と言うのは、必ず混乱した世の中で悪者を倒すために民衆の支持を得て事業を為すのです。天命や民衆が後押ししてくれますから難しいといってもそれほどの事はありません。しかし一度帝王の位を得てしまうと往々にして傲慢になり、民衆が静かに暮らしたいと思っても無理やり働かせ、民衆が貧しくてもさらに大きな事業を為そうとします。国家の衰退はこういう所から始まるものです。この点から言えば守成の方が難しいといえるでしょう。」

太宗はこれらを聞いて言いました、
「房玄齡は朕と苦労を共にして天下を取り、百死に一生を得た。それ故に創業の難しさを知っている。魏徴は天下を安定させる事を考え、傲慢な心が国家の衰亡につながる事を恐れている。それ故に守成の難しさを知っている。しかし創業の難しさは既に過去の事だ、これからは守成の難しさを考えお前たちと身を慎む事にしよう。」

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老子 第八章 上善は水の若し

老子の翻訳、第八章でござる。

原文
上善若水。水善利萬物而不爭、處衆人之所惡。故幾於道。居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤。

書き下し文
上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して而(しか)も争わず、衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(お)る。故(ゆえ)に道に幾(ちか)し。居(きょ)には地が善く、心には淵(えん)が善く、与(まじわり)には仁が善く、言には信が善く、正(政)には治が善く、事には能が善く、動には時が善し。それ唯(た)だ争わず、故に尤(とが)め無し。

英訳文
The Best Good is like water. Water never competes with others even though it benefits all things. Water always stays at the lowest place. So water resembles “the way”. The ground is good for houses. Depth is good for mind. Benevolence is good for friendship. Faithfulness is good for words. Peace is good for politics. Efficiency is good for projects. Timing is good for action. If you do not compete with others, you will not commit an error.

現代語訳
最上の善とはたとえば水の様なものである。水は万物に恵みを与えながら万物と争わず、自然と低い場所に集まる。その有り様は「道」に近いものだ。住居は地面の上が善く、心は奥深いのが善く、人付き合いは情け深いのが善く、言葉には信義があるのが善く、政治は治まるのが善く、事業は能率が高いのが善く、行動は時節に適っているのが善い。水の様に争わないでおれば、間違いなど起こらないものだ。

Translated by へいはちろう

今回の言葉は上善如水という有名なお酒の名前にもなっているでござるな。残念ながら拙者はまだ飲んだ事はござらんが、さぞかし飲みやすいお酒なのでござろう。

さて第二章で「善悪は相対的なもの」と言っていた老子が最上の善を語るという話なのでござるが、水をたとえに「争わない徳」を説明しておられるのでござるな。

なお「居には地が善く」から「動には時が善し」までの七句はオリジナルではなく古い注釈がまぎれこんだものだという説があるのでござるが、確かに無い方がすっきりとするでござるな。ここの英訳文は文法的な正しさや意味が通じることよりも言葉のリズムを重視して A is good for B の形を繰り返す様に訳してみたでござる。

言葉のリズムや響きを重んじるのは別に今回だけの事ではなくいつもの話なのでござるが、もっと多くの英文に触れてより良い訳ができる様になりたいものでござる。

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老子 第七章 天は長く地は久し

老子の翻訳、第七章でござる。

原文
天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私邪、故能成其私。

書き下し文
天は長く地は久(ひさ)し。天地の能(よ)く長く且(か)つ久しき所以(ゆえん)の者は、その自(みずか)ら生(しょう)ぜざるをもって、故(ゆえ)に能く長生(ちょうせい)す。ここをもって聖人は、その身(み)を後にして而(しか)も身は先(さき)んじ、その身を外にして而も身は存(そん)す。その無私なるをもってに非(あら)ずや。故に能くその私(わたくし)を成す。

英訳文
Heaven and earth are eternal, because they never want to be eternal. So the saint who knows “the way” tries to follow people, but people follow him. He tries to put him outside of people, but people put him at the center of them. It is because he is disinterested. He can keep his mind because he is never attached to himself.

現代語訳
天は永遠であり、地は久遠である。天地がその様に永久であるのは、自ら永久であろうとする意志が無いからだ。だから「道」を知った聖人はわが身を後回しにしながら周囲に推されてその身は人の前に立ち、わが身を人の外側に置きながら周囲に推されてその身は人の中心にある。これはその人が無私無欲であるからではないだろうか。無私無欲であるからこそ、自分をつらぬいていけるのだ。

Translated by へいはちろう

天長地久、または天地長久という言葉の出典でござるな。過去に天皇皇后両陛下のお誕生日をそれぞれ天長節・地久節と呼んでいたのは長寿を祈っての事でござろうな。調べてみると唐の玄宗の誕生日を天長節と呼んだのが始まりだそうで、老子の子孫を自称する唐の皇室の中でも特に老子に傾倒していたのが玄宗でござる。

歴史マニアな話はさておき(最近隋唐演義を読んだので本当はものすごく語りたいが)、無私無欲な人間こそ人々に推されてリーダーとなるというのはいかにも日本人が好みそうな言葉でござるな。確かに人の上に立つ人間が私利私欲を追い求めたら迷惑をこうむることが多い。だからと言ってあまりにも非人間的な滅私奉公を求めるというのもどうかと思う次第。

拙者は身の丈を超えた欲望は持たないようにしたいと思っているのでござるが、だからと言って他人まで無欲であって欲しいなどとは思わないでござる。

ちなみに孔子は論語の雍也第六の三十で以下の様におっしゃってるでござる。

夫れ仁者は己立たんと欲して人を立て、己達っせんと欲して人を達す。能く近く取りて譬う。仁の方と謂うべきのみ。

仁者というのは、自らが立ちたいと思えば他人を先に立たせ、自らが行きたいと思えば他人を先に行かせる。常に他者を自分の様に考える。それが仁者の考え方というものだ。

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