ちょんまげ英語日誌

英語に関するくだらないこと書いちゃうでござる

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  • 孔子の論語の翻訳275回目、先進第十一の十二でござる。

    漢文
    季路問事鬼神、子曰、未能事人、焉能事鬼、曰敢問死、曰未知生、焉知死。

    書き下し文
    季路(きろ)、鬼神(きしん)に事(つか)えん事を問う。子曰わく、未(いま)だ人に事うること能(あた)わず、焉(いずく)んぞ能(よ)く鬼(き)に事えん。曰わく、敢(あ)えて死を問う。曰わく、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。

    英訳文
    Ji Lu asked how to serve the soul of the dead. Confucius replied, “I have not been able to serve human yet. Why can I serve the soul well?” Then Ji Lu asked about death. Confucius replied, “I have not understood life yet. Why can I understand death?”

    現代語訳
    季路(きろ)が死者の魂に対してどうやって仕えたら良いか尋ねました。孔子は、
    「まだ生きてる人間に仕える事さえ十分にできないのに、どうして上手く死者の魂に仕える事ができようか。」
    と答えられました。そこで季路は死について尋ねました。孔子は、
    「また生について十分に理解していないのに、どうして死を理解できるだろうか。」
    と答えられました。

    Translated by へいはちろう

    季路(きろ:子路とも言う。姓は仲、名は由、字は子路。詳細は公冶長第五の七に。)

    孔子らしいお言葉でござるな。とくに季路に対して言った事を考慮すれば、「自分の手が届かぬ世界の事を心配するより、まず自らを修める事から始めなさい。」と言う意味でござろうか。

    日ごろ世の中が何かと悪い方向へ向かっていると感じられる御仁は、まず自分を修める事から始めてみてはいかがでござろうか。

    先進第十一の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 先進第十一を英訳を見て下され。

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  • 孔子の論語の翻訳60回目、八佾第三の二十でござる。

    漢文
    子曰、關雎、樂而不淫、哀而不傷。

    書き下し文
    子曰わく、關雎(かんしょ)楽しみて淫(いん)せず、哀しみて傷(やぶ)らず。

    英訳文
    Confucius said, “Guan Ju (the first poem of Shi Jing) expresses delight without licentiousness, and sadness without grief.”

    現代語訳
    孔子がおっしゃいました、
    「關雎(かんしょ)の詩は(恋愛の)喜びを表しているが淫らと言うほどでも無く、哀しみを表しているが悲嘆と言うほどでも無い。(調和の取れた詩である)」

    Translated by へいはちろう

    關雎(かんしょ:詩経の国風の周南の最初の詩、男女の恋を詠った詩。)

    關雎の詩は以下のとおりでござる。

    關雎(かんしょ)

    關關たる雎鳩は 河の洲にあり
    窈窕たる淑女は 君子の好き逑なり

    參差たる行菜は 左右に之を流む
    窈窕たる淑女は 寤めても寐ねても之を求む

    之を求むれども得ざれば 寤めても寐めても思服す
    悠なる哉 悠なる哉 輾轉反側す

    參差たる行菜は 左右に之を采る
    窈窕たる淑女は 琴瑟もて之を友とせん

    參差たる行菜は 左右に之を撰ぶ
    窈窕たる淑女は 鍾鼓もて之を樂しましめん

    現代語訳
    仲睦まじく鳴きあうミサゴの夫婦が川の中ほどにたわむれている
    奥ゆかしく麗しい女性は君子の妻にふさわしい

    長いのと短いの、左右二つそろえてアサザを摘むように
    奥ゆかしく麗しい女性は寝ても覚めても恋しく思うものなのだ

    そんな女性をもし得られなかったらば、寝ても覚めても思い悩んで
    届かないこの思い、届かないこの思い、ただただ寝返りを繰り返す

    長いのと短いの、左右二つそろえてアサザを摘むように
    奥ゆかしく麗しい女性とは琴と大琴の合奏のように二人楽しむものなのだ

    長いのと短いの、左右二つそろえてアサザを摘むように
    奥ゆかしく麗しい女性とは鉦と鼓の合奏のように二人楽しむものなのだ

    Translated by へいはちろう

    詩経とは言うまでも無く儒学の五経に数えられる詩篇集でござるが、中でも国風は各地の民謡の詩を集めた物でござる。周南は地域の名前でござるな。儒学といえば堅苦しいイメージが付きまとうものでござるが、決して堅苦しいだけではないと言う一例でござる。

    また行き過ぎた感情表現よりも程ほどを愛する(中庸)孔子の好みがよく表れているでござるな。

    八佾第三の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの孔子の論語 八佾第三を英訳を見て下され。

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  • まずは現地で取材をされていた長井健司さんが亡くなられた事について非常に残念に思う次第。

    「誰も行かない所に誰かが行かなければならない」

    と、世界の紛争地域を取材しつづけたとの事で、その言葉と行動に非常に感銘を受けつつ他の紛争地域に行かれている多くのジャーナリストの方々に危険が無いことを願うでござる。

    なお、日本の政府がミャンマーの軍事政権に対して「遺憾の意」を素早く表したことについて「よくやった」と評価しつつも、この軍事政権が誕生した時に真っ先に国家として承認をしたのも日本政府であった事も忘れてはならない事実でござる。

    ちなみにミャンマーの現在の国家元首はタン・シュエ 国家平和開発評議会議長と言う冗談みたいな肩書きを持っているのござる。

    ミャンマーについての他の詳細は以下のリンクを見ると良いでござろう。
    外務省HPのミャンマー連邦のページ
    Wikipedia ミャンマー

    実を言うと拙者は数時間だけでござるがミャンマーを訪れた事があるのでござる。タイへ一人旅をしにいった時、遺跡めぐりの他にする事が無かったのでタイ北部の国境から歩いてミャンマーに入り、数時間ブラブラした後戻ったのでござる。

    経緯は本サイトの「ちょんまげ英語塾」の東南アジアンの細道その5にもミャンマーの国境の街の写真と共に書いてあるので興味のある御仁は見てくだされ。

    「行った事がある」とはとても言えないわずかな滞在でござるが、そのわずかな滞在によって何とも言えない気持ちになるものでござる。

    今回の英語は亡くなられた長井健司さんの冥福を祈りつつ、

    「誰も行かない所に誰かが行かなければならない」
    Someone must go to the place where no one goes.

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  • ついこの間時事英語で内閣改造を扱ったと思ったら、あまりにも早い辞任の発表。

    このブログは幕末の志士よろしく、政治について是々非々の議論をするブログではないため敢えて辞任の是非については触れないでござるが、日本の文化として(日本だけでなく)出所進退の重要さに考えさせられる次第でござる。

    とりあえず一国の首相として「お疲れ様」と送りつつ現在でも衆議院議員ではあるため、その職務に励んで下さいと思うでござる。

    それでは時事英語を、

    辞任=resignation
    内閣総辞職=general resignation of the cabinet
    出所進退=advancing and retreating
    後継内閣=the succeeding Cabinet
    衆議院議員=member of the House of Representatives

    その他政治に関する英語は本サイト「ちょんまげ英語塾」の
    政治に関する英語のページにまとめてあるので興味のある方はご覧くだされ。

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  • 拙者の大好きな夏も終わりを告げそろそろ秋の訪れがやってきそうな気配、時事英語だからってニュースの話しばかりでなく時節の話をネタにするのもまた善し、と言う事で秋の話でござる。

    秋と言えば英語では fall または autumn と呼ばれるでござるな、fallの方は夏に生い茂っていた葉が秋になると舞い落ちることからfall=落ちると呼ばれていることは結構知られていると思うのでござるが、autumnってのはどこから来たんだろう?と思ったので調べてみたでござる。

    Wikipediaの「autumn」の項目を見てみると、元々は古いフランス語のautompneとラテン語のautumnusから来ているそうでござる。

    16世紀までのイギリスではharvest=収穫・収穫期という言葉をと言う意味でも使っていたようでござるな。

    ついでに言うとfallを秋と言う意味で使うのはアメリカ英語だけなんだそうでござるが、元々はゲルマン語族全般にあった表現で古英語ではfiæll または feallanと書かれていたみたいでござる。そのまま中英語の時代まで使われていたようでござるが、現在のイギリス英語では使われなくなりアメリカに移民した人々は使用し続けて現在のアメリカ英語に残っていると言う訳でござる。

    ちなみに他にもアメリカ英語には残っているのに、イギリス英語では使用されなくなった英語表現は結構あるので興味のある御仁は調べてみると良いでござるよ。

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