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孔子の論語 述而第七の三十四 丘の祷ること久し

木曜日, 7 月 3rd, 2008

孔子の論語の翻訳184回目、述而第七の三十四でござる。

漢文
子疾病、子路請祷、子曰、有諸、子路對曰、有之、誄曰、祷爾于上下神祇、子曰、丘之祷之久矣。

書き下し文
子の疾(やまい)、病(へい)なり。子路(しろ)、祷(いの)らんと請(こ)う。子曰わく、諸(こ)れ有りや。子路対(こた)えて曰わく、これ有り、誄(るい)に曰わく、爾(なんじ)を上下の神祇(しんぎ)に祷ると。子曰わく、丘(きゅう)の祷ること久し。

英訳文
Confucius had got a illness. Zi Lu wanted to pray for Confucius. Confucius asked, “Do you have any grounds?” Zi Lu replied, “Yes, master. The ancient prayers say - ‘I pray to gods of heaven and earth for you.’” Confucius said, “Then, it is no need. I have been praying to gods for a long time.”

現代語訳
孔子が病になられました。子路(しろ)が孔子のために祈祷をしたいというと孔子は、
「祈祷をする根拠があるのかね?」
と子路に尋ねられ、子路は、
「はい、いにしえの追悼文にこういうのがあります。”君がため、天地の神に祈りを捧げん”」
と答え、これを聞いて孔子は、
「それならば祈祷の必要などない、私は普段から天地の神に祈りを捧げてきた。」

Translated by へいはちろう

子路(しろ:孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の七に。)

無骨な子路が師のために祈祷文などを調べている姿を想像すると微笑ましいエピソードでござるが、孔子の神という存在に対する考え方がよく表れているでござるな。

天地の神々や先祖の霊を軽んじ、行いに悪い点があったならば天の罰ともいえるだろうが、そうでないならば別の理由で病になったのだから祈っても無駄である、という訳でござる。

人の力の及ばない世界で神々は天地を司っているだろうが、だからといって人間社会の細々としたことにまで作為を及ぼしているわけでは無いということでござろうか。

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孔子の論語 述而第七の三十三 聖と仁との若きは、則ち吾れ豈に敢えてせんや

水曜日, 7 月 2nd, 2008

孔子の論語の翻訳183回目、述而第七の三十三でござる。

漢文
子曰、若聖與仁、則吾豈敢、抑爲之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣、公西華曰、正唯弟子不能學也。

書き下し文
子曰わく、聖と仁との若(ごと)きは、則ち吾れ豈(あ)に敢えてせんや。抑々(そもそも)これを為して厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦(う)まずとは、則ち謂うべきのみ。公西華(こうせいか)が曰わく、正に唯だ弟子学ぶこと能わざるなり。

英訳文
Confucius said, “I myself also cannot be a sage or a benevolent person. I can only aspire after these way and teach people eagerly.” Gong Xi Hua said, “That’s really the thing we cannot.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私自身、聖人や仁者の様なことはとても出来ることでは無い。私に出来るのはせいぜいそれらの道を追い求めて、飽きることなく人々に教えることだけだ。」
すると公西華(こうせいか)が、
「それこそまさに我ら弟子たちにはとても真似できぬことなのです。」
と言いました。

Translated by へいはちろう

公西華(こうせいか:姓は公西、名は赤、字は子華。孔子の弟子の一人。裕福な家柄の出身)

公西華、公西赤(こうせいせき)、子華(しか)とか呼ばれるこの人物は孔子よりも42歳若く、裕福な家の出で礼法などに明るく公冶長第五の八では外交官に相応しいと孔子に評され実際に外交官になった人物でござる。

公西華にとって42歳も年が離れ自分の得意分野で時代の頂点に立つ孔子は、尊敬の対象というよりは崇拝の対象になっていたかも知れないでござるな。

孔子が偉人だということには疑いもなく今回のお言葉も立派でござるが、孔子を神聖視しすぎるとかえって孔子が本当に言いたかったことから遠ざかってしまうことになる。才能という言葉は時に人間の努力を軽視するものでござる。

公西華の返答も中々に才幹を感じさせるものでござるが、それだけに「とても真似できぬ」と言われて孔子が喜んだとは拙者には思えないでござるな。

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孔子の論語 述而第七の三十二 君子を行なうことは、則ち吾れ未だこれを得ること有らざるなり

火曜日, 7 月 1st, 2008

孔子の論語の翻訳182回目、述而第七の三十二でござる。

漢文
子曰、文莫吾猶人也、躬行君子、則吾未之有得也。

書き下し文
子曰わく、文(ぶん)は吾れ猶(な)お人のごとくなること莫(な)からんや。躬(み)、君子を行なうことは、則ち吾れ未だこれを得ること有らざるなり。

英訳文
Confucius said, “I am confident of studying hard. But I have never been confident of practicing as a gentleman yet.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「学問においては私はそれなりの自信を持っているが、人格者としての実践となるとまだまだ自信を持つには至らない。」

Translated by へいはちろう

孔子をしていわしめるというか何というか、論語内で度々この様に日々の生活での実践が大事だと説いておられるのでござる。

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孔子の論語 述而第七の三十一 人と歌いて善ければ、必ずこれを返えさしめて、而して後にこれに和す

月曜日, 6 月 30th, 2008

孔子の論語の翻訳181回目、述而第七の三十一でござる。

漢文
子與人歌而善、必使反之、而後和之。

書き下し文
子、人と歌いて善ければ、必ずこれを返(か)えさしめて、而(しか)して後にこれに和す。

英訳文
When someone sang well, Confucius asked him to sing again. Then Confucius sang together.

現代語訳
一緒に歌を歌っていて誰かが善く歌った時には、孔子は必ずもう一度歌ってもらい、その後で一緒に合唱された。

Translated by へいはちろう

好々爺な印象の孔子でござるな。宮廷音楽や祭祀の音楽の時には引き締まっておられたでござろうが、友と楽しむ音楽や歌の時には朗らかに楽しまれたという事でござろうか。

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孔子の論語 述而第七の三十 丘や幸いなり、苟くも過ちあれば、人必ずこれを知る

日曜日, 6 月 29th, 2008

孔子の論語の翻訳180回目、述而第七の三十でござる。

漢文
陳司敗問、昭公知禮乎、孔子對曰、知禮、孔子退、揖巫馬期而進之曰、吾聞、君子不黨、君子亦黨乎、君取於呉、爲同姓謂之呉孟子、君而知禮、孰不知禮、巫馬期以告、子曰、丘也幸、苟有過、人必知之。

書き下し文
陳の司敗(しはい)問う、昭公は礼を知れるか。孔子対(こたえ)て曰わく、礼を知れり。孔子退く。巫馬期(ふばき)を揖(ゆう)してこれを進めて曰わく、 吾れ聞く、君子は党せずと。君子も亦た党するか。君、呉に取(めと)れり。同性なるが為めにこれを呉孟子(ごもうし)と謂う。君にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知 らざらん。巫馬期、以て告(もう)す。子曰わく、丘(きゅう)や幸いなり、苟(いやし)くも過ちあれば、人必ずこれを知る。

英訳文
The chief judicial officer of Chen asked, “Did marquis Zhao have a sense of courtesy?” Confucius replied, “Yes, he did.” Confucius left the room. Then chief judicial officer said to a pupil of Confucius whose name was Wu Ma Qi, “I think gentlemen must not be unfair. But I’m afraid gentlemen sometimes can be unfair. Marquis Zhao married a woman from Wu. Her family name was the same as marquis’s. So marquis called her Wu Meng Zi. If marquis had a sense of courtesy, everyone would have a sense of courtesy.” Wu Ma Qi said this to Confucius. Confucius said, “I feel happiness so much. If I make a mistake, someone correct my mistake.

現代語訳
陳の国の司法長官が孔子に、
「貴国の先代である昭公は礼節をわきまえたお方でしたか?」
と尋ね、孔子は、
「はい昭公は礼節をわきまえておいででした。」
と答えられました。孔子が部屋を退出された後、長官は側にいた巫馬期(ふばき)を呼び寄せて言いました、
「人格者というものは身びいきをしてはならないはずだが、時には人格者といえども身びいきをするようだ。昭公は呉国より妻をめとられたが、彼女が同姓であったため、呉孟子(ごもうし)と呼んでごまかしていた。(同姓との結婚は許されないのに)この様な人物が礼節をわきまえるとしたら、誰でも礼節をわきまえていることになるだろう。」
その後で巫馬期が孔子にこのことを話すと、
「私はなんと幸せ者なのだろう。もし私が間違いを犯しても、誰かがそれを正してくれる。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

巫馬期(ふばき:姓は巫馬、名は施、字は子旗。孔子の弟子の一人。)

昭公(しょうこう:魯の23代目、当時の魯の実質的支配者だった三桓氏の討伐を試みるが失敗して斉に亡命した。)

今でも中国や朝鮮半島では同姓同士の結婚を避ける傾向がある様でござるが、何故かを解説するのは非常に長くなるので省略するでござる。ちなみに魯も呉も周王室に連なる姫(き)姓でござるな、当時の諸侯のほとんどが周王室の子孫で姫姓だったので、諸侯の公子たちの結婚はさぞかし大変だったでござろう。

昭公はこの事以外にも先代の襄公の喪中にも喪服を着ながら遊び回ったりするなど、礼節をわきまえているとは言いがたい話が残っており、孔子が昭公を「礼節をわきまえている」と言ったのはあくまでも臣下として主君の悪口を言うべきでないと思ったからでござろう。

しかし陳の司法長官は(孔子も魯の司法長官だったことがある)、それを不公正であると非難した訳でござるが、孔子もこのような場合には忠よりも公正さが大事だと思いなおされて、すぐに間違いを認めるあたりは流石でござるな。

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