月別アーカイブ: 2008年10月

孔子の論語 顔淵第十二の十五 博く文を学びて、これを約するに礼を以てせば、亦以て畔かざるべきか

孔子の論語の翻訳304回目、顔淵第十二の十五でござる。

漢文
子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫。

書き下し文
子曰わく、君子、博(ひろ)く文(ぶん)を学びて、これを約(やく)するに礼を以(もっ)てせば、亦(また)以て畔(そむ)かざるべきか。

英訳文
Confucius said, “If gentlemen learned extensively and behave with due courtesy, they never stray from the right path.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「もしも人々が博く学び、行動するにあたって礼に配慮すれば、彼らは決して正道を踏み外すことは無い。」

Translated by へいはちろう

雍也第六の二十七に同じ文が出ているでござるな。

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孔子の論語 顔淵第十二の十四 これに居りては倦むこと無く、これを行うには忠を以てす

孔子の論語の翻訳303回目、顔淵第十二の十四でござる。

漢文
子張問政、子曰、居之無倦、行之以忠。

書き下し文
子張(しちょう)、政(まつりごと)を問う。子曰わく、これに居(お)りては倦(う)むこと無く、これを行うには忠を以(もっ)てす。

英訳文
Zi Zhang asked about politics. Confucius replied, “If you take part in politics, you must concentrate on your duty tirelessly. You must govern the people faithfully.”

現代語訳
子張(しちょう)が政治について尋ねました。孔子は、
「政治に携わるなら職務に飽きることなく専念せねばならない。人々に対しては誠実さをもって統治せねばならない。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

子張(しちょう:姓は顓孫、名は師、字は子張。詳細は公冶長第五の十九に。)

別に実在の政治家を批判するわけではないのでござるが、人々の上に立つ人間が怠けたり中途で職務を投げ出したりするのは非常に迷惑な話でござる。人間社会が刻々と変化する以上、当初の計画より微調整を行わなければならないにせよ、まずやりきってから後任に評価や判断を委ねるのが筋というもの。

しかし存命中の方はともかくそろそろ昭和期の政治家たちの業績に対して評価が行われても良い頃だと思うのでござるが、2世議員やらなにやら周辺や反対勢力が政治に影響力を持っている間は難しいでござろうな。拙者は政治よりも歴史が好きなので単純に残念でござる。

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孔子の論語 顔淵第十二の十三 訟を聴くは、吾猶お人のごときなり。必ずや訟え無からしめんか

孔子の論語の翻訳302回目、顔淵第十二の十三でござる。

漢文
子曰、聽訟吾猶人也、必也使無訟乎。

書き下し文
子曰わく、訟(うったえ)を聴くは、吾(われ)猶(な)お人のごときなり。必ずや訟え無からしめんか。

英訳文
Confucius said, “I can judge a case as well as others. But I would rather reduce cases.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私とて人並みに訴訟を裁くことができるであろうが、それよりは訴訟自体を減らしたいと思う。」

Translated by へいはちろう

前回は子路の訴訟を裁くさまを褒めていたのでござるが、孔子は魯の司寇(警察・司法責任者)を務めてもいたことから、根本的な治安向上には人々を教化することだと考えていたのでござろう。

学校などのなかった時代には西洋では教会、日本では神社や寺院がその役目が負っていたわけでござるが、要するに信仰を利用して人々にモラルを教えていたわけでござる。

孔子の教えを宗教と捉えるか学問と捉えるかは人それぞれで良いと思うのでござるが、当時の人々に対しては中国古来よりの祖霊信仰を利用して「孝」と「礼」の価値観を人々に植え付けて、その元となる「仁」を人々が実践することによって社会は安定する。というのが孔子の目的でござった。

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孔子の論語 顔淵第十二の十二 片言以て獄を折むべき者は、其れ由なるか

孔子の論語の翻訳301回目、顔淵第十二の十二でござる。

漢文
子曰、片言可以折獄者、其由也與、子路無宿諾。

書き下し文
子曰わく、片言(へんげん)以て獄(うったえ)を折(さだ)むべき者は、其(そ)れ由(ゆう)なるか。子路(しろ)、諾(だく)を宿(とど)むること無し。

英訳文
Confucius said, “Only Zi Lu can judge a case by hearing a part of an accusation. He always executes things he undertook immediately.

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「訴訟の一部だけを聞いて正しい判決を下す事ができるのは子路(しろ)ぐらいなものだな。彼は物事を一度引き受ければすぐに実行する。」

Translated by へいはちろう

子路(しろ:季路とも言う。姓は仲、名は由、字は子路。詳細は公冶長第五の七に。)

法治主義が徹底された現代においてはこのような個人の資質に大きく左右されるような裁判システムは言語道断なのでござるが、同時にいつの世でも悪事に対する裁判は即断即決を求めるのが民衆心理であることも事実でござるな。

拙者は時代劇が大好きなのでござるが、時代劇の解り易い勧善懲悪が人々に好まれるのは、正しい事は正しい、悪い事は悪いとバッサリと切り捨てる爽快さにあるのでござろう。

まもなく裁判員制度がはじまって、もしかしたら拙者も人の罪を裁くにあたって意見を言う立場に立たされるやも知れぬでござるが、その時は粛々と自分の思うところを言わせていただくつもりでござる。もちろん人の身で人を裁くことに恐れがないかといえばあるのでござるが、法治国家で刑罰がある以上誰かがやらねばならない事でござるし、この制度は多くの国民が望む裁判の時間短縮に寄与するので是非もないことなのでござる。

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孔子の論語 顔淵第十二の十一 君、君たり、臣、臣たり、父、父たり、子、子たり

孔子の論語の翻訳300回目、顔淵第十二の十一でござる。

漢文
齊景公問政於孔子、孔子對曰、君君。臣臣、父父、子子、公曰、善哉、信如君不君、臣不臣、父不父、子不子、雖有粟、吾豈得而食諸。

書き下し文
斉の景公(けいこう)、政(まつりごと)を孔子に問う。孔子対(こた)えて曰わく、君(きみ)、君たり、臣(しん)、臣たり、父(ちち)、父たり、子(こ)、子たり。公の曰わく、善いかな。信(まこと)に如(も)し君、君たらず、臣、臣たらず、父、父たらず、子、子たらずんば、粟(ぞく)ありと雖(いえど)も、吾(われ)豈(あ)に得て諸(こ)れを食らわんや。

英訳文
Marquis Jin of Qi asked Confucius about politics. Confucius replied, “Monarch must behave like monarch. Vassals must behave like vassals. Father must behave like father. Children must behave like children.” Marquis said, “Definitely right. If they did not behave like themselves, I could eat nothing even though there is food.”

現代語訳
斉の景公(けいこう)が政治について孔子に尋ねました。孔子は、
「君主は君主らしく、臣下は臣下らしく、父は父らしく、子は子らしく振舞うことが重要です。」
と答えられ、景公は、
「そのとおりだ。もしも本当に彼らがそれぞれの役目を果たさずに勝手な事をしだしたら、たとえ食べ物があってもそれを食べる事が出来なくなるだろう。」
と言いました。

Translated by へいはちろう

景公(けいこう:斉の25代目、在位BC547-BC490年。姓は姜、氏は呂、名は杵臼。兄の荘公が崔杼に弑られたあと、崔杼に擁立されて斉公となる。はじめは崔杼を宰相に据えて国庫を浪費し民に重税を課して苦しめたが、後に晏嬰を宰相として据え、軍事面では晏嬰の推薦により司馬穰苴を抜擢した。斉は景公のもとで覇者桓公の時代に次ぐ第2の栄華期を迎え、孔子も斉での仕官を望んだほどである。しかし、これらの斉の繁栄は晏嬰の手腕によるもので、景公自身は贅沢を好んだ暗君として史書に描かれる場合が多い。)

孔子の人生のターニングポイントの一つである斉の景公に仕官を求めて面会したときのエピソードでござるな。公冶長第五の十七でも説明したように、このとき斉に仕官が適って稀代の名宰相、晏嬰と協力することができていたら、孔子の人生はいったいどうなっていたでござろうか。

景公は先代である異母兄、荘公を家臣である崔杼に殺されて傀儡として擁立されて斉公となっているために、孔子のとなえる「身分秩序を正すべし」という理念に賛同するところは大きかったはずでござる。実際景公は孔子に領地を与えて召抱えようとしているのでござる。

しかし孔子はこの時まだ何の実績もなく、また世間の儒者に対するイメージから晏嬰が孔子を迎え入れようとする景公を諌めて孔子の若き理想は挫折するのでござる。

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