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Wikipedia「Genpei War(源平の合戦)」をちょんまげ翻訳

毎回英語版Wikipediaから日本史に関連のある項目を選びだして和訳するこのカテゴリ、今回は日本史における武家階級の台頭とほぼ日本全土に及ぶ初の内乱と言う二つの重要ターニングポイントである「源平の合戦」の項目の序文の翻訳にチャレンジでござる。

Wikipedia「Genpei War」

The Genpei Wars (源平合戦, Genpei kassen, Genpei gassen) (1180-1185) were a conflict between the Taira and Minamoto clans in late-Heian period Japan. They resulted in the fall of the Taira clan and establishment of the Kamakura shogunate under Minamoto Yoritomo in 1192.

The name “Genpei” (pronounced and sometimes written as Gempei) comes from alternate readings of the kanji ‘Minamoto’ (源) and ‘Taira’ (平). The conflict is also known in Japanese as the Jisho-Juei War (治承・寿永の乱,), after the two eras in which it took place.

It began with Minamoto support for a different candidate to take the throne, in conflict with the Taira’s nomination. The ensuing Battle of Uji took place just outside Kyoto, starting a five-year long war, concluding with a decisive Minamoto victory in the naval Battle of Dan-no-ura.

原文 2006年11月30日現在 Wikipedia「Genpei War」

源平合戦(Genpei kassen)は、平安末期(1180年から1185)起こった平氏と源氏の権力闘争の事で最終的には平氏の没落と1192年の源頼朝による鎌倉幕府の開府と言う形で終焉を迎えたのでござる

源平(げんぺい合戦)と言う呼び名は漢字の「源」と「平」の文字の音読に由来するでござる。日本ではその時代の年号から「治承の乱、寿永の乱」としても知られているでござる。

事の始まりは東宮の擁立をめぐり平氏と源氏が対立したためで京都郊外の宇治での戦闘に始まったこの合戦は5年程続き、壇ノ浦での海戦での源氏側の決定的な勝利によって幕を閉じたのでござる。

和訳 Translated by へいはちろう

今回は拙者の訳の未熟さはさておき、序文だけでは少ない内容でござるな。全文を読めばちゃんと説明されてるでござるが。

日本語版ウィキペディア「源平合戦」

as~as possible

※このカテゴリにも英文はのせませんのであしからず

英語を学習する上で結構困るのが英熟語の存在でござる、英単語やリスニングなどに比べて「これは!」と言う教材や学習法が無いからでござる、結局数こなさなくてはならないと言う事で不定期に(思いつきで)英熟語をピックアップして行きたいと思うでござる。

記念すべき第1回目はこちら!

as ~as possible(可能な限り~に)

よく「as soon as possible(出来るだけ迅速に)」と言う例で中学生や高校の頃に習うでござるな。ただ拙者の私見で言えば「possible」と言う単語はいい難いので「as ~ as you can」とかって言い換える方が自然な気がするでござるな。

例えば

Hurry up , as you can! (出来るだけ急いで!)

とか言う感じでござる、ちなみにいきなり最初のasが抜けてるでござるが応用したまででござる。

さらに言うとこのままだと、「本気で急がせたい感じが伝わらない」ので

Huurry up!! as you caaaaaaaaaan!!!!!!!!

とすると文字でも「急がせたい雰囲気が良く出てベター」でござるな、いや本当に。

そしてさらに応用編、日本人が口に出したい英語シリーズその1(その2はあるのか?)

Settle this problem as peacefully as you can, please?
(出来るだけ穏便に事を解決してくれませんか?)

「穏便に」なかなか良い響きでござるな、なんとなく裏の稼業の人に仕事を依頼してる雰囲気もするでござるが、

as peacefully as you can(出来るだけ穏便に)

きちんと憶えて使ってみてくだされ!!!!!!

世界の国からこんにちは

※今回は英文はお休みでござる

このブログが英文を載せてるからでござろうが、アクセス解析を見ているとどうやら海外の方がちらほらとこのブログを見てくれているようでござるな。割合にして3割弱といったところでござる。

「ちょんまげ翻訳」以外のカテゴリは日本文の英訳のフリした海外の人向けの文章を載せているので実はとても嬉しい事なのでござるがそれならばもっと海外の方々向けにタイトルとかも英訳した方がいいかな~~なんて思ってる今日この頃。

もともと拙者のサイトの宣伝と拙者の英語学習のモチベーション維持を目的に始めたこのブログ、あんま肩肘張ってやるのはよくないと思うのも事実。

今のところ、Wikipediaの翻訳が楽しいので当分続けるでござろうけど、一日一熟語を基準に英熟語の講座なんかやってもいいでござるな、

何しろ英単語とかリスニングとかに比べて英熟語とか語法には拙者自身ひどく苦労させられた(させられてる)でござるから。

まぁ、「ウンヶ月でTOEIC900点!!」とかそういった、やる気満々のブログにはこれからも決してならないのであまり期待しないで下され

Wikipedia「Taika Reform(大化の改新)」をちょんまげ翻訳

  本日のちょんまげ翻訳は日本史において最重要ターニングポイントの一つ、「大化の改新」に挑戦したいと思うでござる。例によって序文だけでござるが、
Wikipedia 「Taika Reform」

The Taika Reforms (大化の改新, Taika no Kaishin) were a set of doctrines established by Emperor Kōtoku in the year 646. They were written shortly after the death of Shōtoku Taishi, and the defeat of the Soga clan, which united Japan. Crown Prince Naka no Ōe (who would later reign as Emperor Tenji), Nakatomi no Kamatari, and Emperor Kōtoku jointly embarked on the details of the Reforms. Emperor Kōtoku then took the name “Taika” (大化), or “Great Reform”.

The Reform began with land reform, based on Confucian ideas and philosophies from China, but the true aim of the reforms was to bring about greater centralization and to enhance the power of the imperial court, which was also based on the governmental structure of China. Envoys and students were dispatched to China to learn seemingly everything from the Chinese writing system, religion, literature, and architecture, to even dietary habits at this time. Even today, the impact of the reforms can still be seen in Japanese cultural life.

原文 2006年11月27日現在 Wikipedia 「Taika Reform」

「大化の改新(たいかのかいしん)」とは西暦646年、聖徳太子の死と蘇我氏の滅亡のすぐ後に孝徳天皇によって確立された政治的改革の事でござる、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足のそして孝徳天皇の共同作業によって後々の中央集権的な日本の基礎を確立し、孝徳天皇によりその改革は「大化(大改革)」と名づけられたのでござる。

改革は中国の儒教的精神と哲学に基づく土地制度の改革から始まったのでござるが、改革の真の目的は中央集権体制を強力に推し進めて朝廷の支配力を高める事にあったのでござる。

それらは中国の律令制を参考にしており使節や学僧は当時の中国の文字制度、宗教、文学、建築様式、食事のマナーにいたるまで学んで日本に持ち帰り。この改革によってもたらされた影響は現在の日本の文化様式の中でも見つける事が出来るほどでござる。

和訳 Translated by へいはちろう

海外の方が原文を書いているとすれば、見事としかいいようがないでござるな。英文を読める御仁は全文をぜひ読んでみてくだされ。いつかもっと歴史と英語を勉強してWikipediaの記事の修正などにも参加したいでござるな。

ちなみに日本文のウィキペディア「大化の改新」の項目もぜひ読んでくだされ。

Wikipedia「Komuso」をちょんまげ翻訳

 現在このブログの右上で尺八吹いてるあれですな「虚無僧」ってやつでござる、拙者の住処はお寺の多い地域なのでござるが見かけたこと無いでござるな、托鉢僧はたまに見かけるでござるが。

Wikipedia 「Komuso」

A komusō (Japanese kanji: 虚無僧; Hiragana こむそう) was a mendicant priest of the Fuke sect of Zen Buddhism. They were characterised by their wearing of a straw basket hiding their head (a sedge or reed hood named a tengai), and playing of a shakuhachi (the Japanese bamboo flute) for meditation (the suizen).

Komusō practiced suizen (“blowing Zen”) meditation, playing solo shakuhachi pieces called honkyoku (“original pieces”) for alms and enlightenment.
原文 2006年11月26日 Wikipedia 「Komuso」

「虚無僧(こむそう)」とは禅宗の宗派の一つである普化宗の托鉢僧の事でござる。特徴的なスゲやアシで編まれた「天蓋」と呼ばれる笠をかぶり、竹から作られた「尺八」を吹いて「吹禅」とよばれる禅行を行ったのでござる。

虚無僧による「吹禅」は民衆を教化するために「本曲」と呼ばれる尺八による独奏を行う事なのでござる

和訳 Translated by へいはちろう

なるほど納得って程の情報量ではござらんな・・・外国の方々が虚無僧にやたら詳しくても気持ち悪いでござるけど